幸せな結末

Happy End

Yes I'm Changing

今のところに住み始めてから数回目の週末を終えた。学生時代に住んでいた街とはやはり多くのことが違っていて、楽しい。部屋でしていることは基本的に変わりはないのだけど、ちゃんとしたデスクと椅子があるということはいい方に作用しているようだ。こたつに座椅子とはまるでわけが違う。出窓から覗く、駅までの道だって美しく見えないこともない。特に雨の日は信号機や車のヘッドライトがキラキラして美しい。こうした景色を見ながら、スヌーピーのウォールステッカーを眺めながら、ここで暮らすんだ。

今日は面倒くさい訪問者によって起こされた。休日の訪問者はやけにイライラしてしまうし、それをわからせようとしてしまう。悪い癖だな。寝起きで話の内容がちゃんと頭に入っていなかったんだけど大丈夫だっただろうか。その後カロリーメイトを食べて、昨日もらった薬を飲んだ。日中はまだ調子悪かったな。家を出て町田のTSUTAYAにDVDを返しに行く。町田に滞在した時間はおよそ5分。それから本厚木に戻ってまたTSUTAYAでDVDを3枚借り、無印、ユニクロで買い物を済ませ、伊勢原に帰って東急のスーパーへ。マウントレーニアのカフェラテが108円だったので、ここを本拠地スーパーに決定。家に帰ってからは『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の第6話か7話から最後まで観た。少し泣けた。そして「secret base」のクラシック感に驚いた。

今度は相模川沿いにでも行こうか。もしくは夜明けの美しい街を歩いてみようか。

私の人生、人生の夏

高速バスに乗り合わせた見知らぬ乗客たち。彼らは大きな声で話し続ける。ひとり窓ごしに外を眺めながら、僕はこんなことを思う。ここにいるみんな、一人残らず、自分と同じく死に向かっていると。

そんなことを考えたのも、このレコードを聴いていたから。
Pizzicato One『わたくしの二十世紀』。

決して明るいアルバムではない。ただこのアルバムを聴くとなぜか、気持ちが楽になる。たぶん、一生の友を見つけたような気持ちになるからだろう。このような思いを抱かせるアルバムは、近年ではランタンパレードの『夏の一部始終』くらいしか思いつかない。

SNS上で繰り広げられる「新しい音楽の椅子取りゲーム」を横目に見ながら、豊かな音楽に耳を傾けるのは本当に優雅なひとときと言える。

Marina Del Rey

日々の自由が極端に少なくなっても、大事にしたい部分は失わないようにって、本当に思うんだ。

以下、普通の日記。昨日はなんだかんだで部屋に戻ったのは4時半。そこから洗濯機に洗濯ものぶち込んで、その間にシャワー浴びて、洗濯ものを乾燥機にぶち込んで、寝た。起きたのは13時50分とか。月曜から食費を抑えなきゃと考えながらどん兵衛を食う。14時半から同期と出掛ける。今年初めて蝉の声を聞いた。移動に使った社用車の中では、今年のベストトラックを集めたプレイリストを流す。15時から『バケモノの子』を観た。いい映画だった。人と映画を観に行くなんて本当に久しぶりだった。帰りにスーパーに寄って弁当とバターロールとブラックサンダーを買う。ブラックサンダーってなんであんなに高いのかな。部屋に戻って弁当を食い、少ない時間を惜しむかのように音楽を聴く。そのような生活のおかげで、最近は全然テレビを見なくなった。そのことについて何とも思わない。ただ重要度の違いだ。テレビのタイムラインよりも自分のiTunesライブラリの充実の方がはるかに大事なのだ。ある意味これは何年もかけて作られたホームだから。たかがデータ、されどデータ。そして今はテーム・インパラの新作『カレンツ』の先行フル試聴をしている。
ウィンブルドン決勝を見るためにここで筆を置く。

愛はどこへ行ったの

僕らの時代にサニーデイ・サービスはいなかった。でもシャムキャッツというバンドが同時代に存在し、成長の瞬間に立ち会える。それは本当に幸福なことだ。「GIRL AT THE BUS STOP」が今年屈指の名曲なのは言わずもがな、他の曲にも駄作がない。20分に満たないランニング・タイムだがアルバムとしての主張がはっきりと出ている。ジャケットを飾る女性のようにしっかりと前を見て進むということ。『TAKE CARE』しながらね。このアルバムに登場する人たちは他人ではない。一人一人が自分を映す鏡のように、僕に語りかけたり背中を押したりする。そういう意味で本作品は正しく『AFTER HOURS』の続編である。

さっき、大学に入りたてのころによく聴いていた音楽を振り返っていた。クラムボンの当時の新作なんか、かなりくる。あの頃が一番寂しかったかもしれないな。つながりたいのにつながれない。こんなはずじゃなかった感。5月病だったのかも。いまああいう感情を持ち得ないことが少し寂しい。まぁ、来月からガラリと環境が変わるから、良くも悪くも生きてるって感じがするかもね。決して短くはないこの数年間、台無しにしてるんじゃないかって思う時もあったけれども、もうどうだっていいや。まだ大きな無限大が、みんなを待ってる。

最近はどういう音楽が自分にとって素晴らしいのか、どういう音楽が好きなのかを考えていることが多い。それこそ中村一義のようにその人の命のような音楽なのか、あるいはもっと軽くてさりげない心のダイナミクスを切り取った3分間のポップ・ソングなのか、もっと抽象的で捉えどころのなく、でも匂い立つような芳醇な空気の振動なのか。まぁ、どれにしたって自分にとって素晴らしい音楽であることには変わりないから、比較するのは野暮か。

乃木坂46の最近の活動にいまいち乗り切れない自分がいる。なぜだろう。メンバーたちはかわいいし面白い。新曲は可もなく不可もなく。ダンスはかっこいいけども。やはり初期の幻影を追い続けているから?運営の過剰な西野推しが目立つから?個々の活動が増えるのはいいことだけでは無いと危惧しているから?そういう要素が少しずつ絡み合って興味のインテンシティが落ちてきている。まぁ今月の『MdN』は非常に楽しかったし、乃木坂の作品主義なところはさすがだなって思ったし、まとめは相変わらず見てるんだけど。もう少し様子見か。

Domingo

今年に入ってから渡辺亨の『音楽の架け橋』に影響されまくっている。とりあえず、

The Blue Nile - Hats,
Gal e Caetano Veloso - Domingo,
Grace Jones - Nightclubbing,
Paul Simon - Still Crazy After All These Years,
Linda Lewis - Lark,
Nara Leão - Os Meus Amigos São Um Barato,
Ron Sexsmith - Ron Sexsmith

を購入。下2枚は未聴。また過去の遺産を探るのが楽しい時期に戻ってきた。ブラジル音楽に興味が湧いている。あとははっぴいえんどが歌詞の面で影響を受けたという初期のポール・サイモンを再評価。歌詞の内容が、あんなに暗いものなんて知らなかった。そういう音楽が大衆に受けたというのは面白い。

Tumblrで好きなレコードについて自由に文章を作る作業をしている。ゆっくりのペースだがこれが何十枚と積み上がったら、何か意味が見えてきそうな、こないような。

そんな感じで音楽の旅は続く。


最近、いろんなことが同時に終わりを告げた。その中にはポジティブなものと、ネガティブなものがある。だがネガティブなものも捉え方次第ではポジティブになり得る出来事だ。空気公団『こんにちは、はじまり。』というレコードが最近発売されたことに感謝をしよう。すなわちこれが何かの始まりだと考えるんだ。コップの中の水が飲んだ分だけちゃんと減るような、正しく動く世界に僕たちはいるから、何も心配いらないんだ。

そもそも、俺の人生、何か始まったっけ?
まだ何も始まっていない気がするな。