幸せな結末

Happy End

夢うつつ

Apple Musicの弊害がいくつかある。

まず、「アーティスト名」「曲名」のみをヒントにしたときの参照先の精度の悪さ。Apple Musicに登録されてない曲を参照してくるとき、似た名前のアーティストの、似た名前の曲をダウンロードしてきてしまうのだ。つまり全くの別曲だ。特に漢字表記の日本人アーティストに多い。「中」や「森」で始まる人たちはその餌食になりやすく、中村一義中村中になったり、森田童子森田健作になったり。「東京」で始まるアーティストも多いので、東京事変東京パフォーマンスドールになっていたりする。この現象は単純に笑えるし、後年振り返って懐かしめるようなネタにはなるだろうが(新しい技術が生まれたときには、そうしたバグはつきものかもしれない)、名前を変えてアップロードし直さなければならないのがめんどい。また、さらにマニアックな話題になるが、曲は一致していても古いリマスター・バージョンで流れる現象。Apple Musicにリマスターが2種類あるか、または古いバージョンしかないときに起こる。これも名前を変えてアップロードし直すが、それでも直らない場合が多い。めんどい。しかしリマスター信者(当方)にとってはとても気になることなのだ。以上の2現象はiTunesライブラリの整理を大きな生きがいにしている人種(当方)にとっては悪しき傾向である。多少の資金援助するので撲滅したい。

そしてもう一つ目の弊害は、音楽の聴き方が結構変わるということ。先日、セイント・エティエンヌのファーストをApple Musicでダウンロードして途中まで聴いていたのだが、なんとなく飽きてしまい、結局削除してしまった。一昔前ならCDを買ってきて、iPodなりに同期してとりあえず数回は聴いてみただろう。もっと遡れば、MDに入れて何度も聴いたはずだ。最初はピンとこなくても、買ったのだからという理由で良さが解るまで聴いたものだ。その過程で、その盤に当時の部屋の空気や匂いが蓄積され、あとで振り返ったときのタイムマシーンになる。「思い入れ」というやつだ。音楽にこのような時空飛翔装置としての側面を求めている自分がいて、それは大事にしたい。しかしストリーミング時代になり、その空気や匂いを閉じ込めにくくなった。高速で移り変わる膨大な音楽のカタログを前にして溺れてしまい、じっくりと新しい音源に向き合う時間が減ってしまった。だから結局、思い入れのあるアルバムをつい再生してしまう(今は『ジョンの魂』だ)。 レコード技術が発達して大量生産できるようになった頃(1950年代~)のアメリカでは、民衆が車でスーパーへ向かう途中の数分間、カーラジオで曲を聞かせるために、とにかくインパクトのあるイントロに力を入れていたという話がある。長いイントロの曲なら、歌が始まる前にスーパーに着いてしまい、聴いてもらえなくなるのだ。この時代のヒット曲は確かにイントロから派手で気合が入っている。曲自体も2分台で終わるものがほとんどだ。そうした「生活者の制約」が、素晴らしいイントロや構成を持つ曲をたくさん生み出し、結果としてポップ音楽産業を豊かにしていった。つまり、ポップ・ミュージックとは人の生活に合わせて変化していくものなのだ。さて、現在はストリーミング時代。音楽はどれでも再生でき、スクラブして自由にサビまで飛ばすこともできる。一番おいしい部分だけつまみ食いできる。気に入らなければ次の曲へ。そうしたせわしない現代人の生活に合わせてどうポップ音楽が変化するのか。個人的レベルでいえば、徐々に変わりつつある。それが少し寂しい。

「ねぇ、アルバムって覚えてる?」故プリンスは言った。やっぱり僕は、腰を据えて「いいアルバム」が聴きたいなぁ。