幸せな結末

Happy End

サイレントマジョリティー

語られるべきことが多すぎる。まずは、楽曲について。ここまで熱病のように発売前の曲を繰り返し聴いてるのは、tofubeats「水星」(2012)以来かもしれない。

欅坂46のデビュー・シングルが、言葉に出来ないほど素晴らしい。想像の遥か上を来た。

乃木坂46制服のマネキン」と比べられがちな本作は、たしかにBPMやダークな雰囲気を持つダンス・ミュージックといった共通点を見出すことができるが、妹分のデビュー作はそれよりもさらに前進している。「制服のマネキン」にとっていいアクセントになっていたのは間奏のフラメンコ風のギター・ソロであるが、欅坂の方にはこれもやはりフラメンコ風のハンド・クラップが、ほぼ全編にわたって鳴らされ、さらに複雑なリズム感も相まって「異国感」が強まることで、大きなインパクトを聴く者に与える。そしてすごいのがサビのメロディーだ。逆立ちしたってこんなメロディーは思いつけない。地を這うような、ともすれば暗いメロディーだが、そこには言葉にならない強い意志や感情をはっきりと感じ取ることができ、心を揺らす。本当にアイドルのデビュー曲なのか。誰でもそう思うに違いない。まさに異質の完成度といえる。少なくともこの数年の間に出たアイドル楽曲、さらには邦楽ポップスの中でも屈指の傑作であろう。

前置きが長くなってしまった。本当に言いたいことは、21世紀生まれのアンファン・テリブルについてだ。
はじめからこの子には何かがあると思っていたが、まさかこれほどの物を持っているとは思わなかった。

その名は、平手友梨奈

現状、「サイレントマジョリティー」の楽曲、振付、MVが求めている世界観を体現できているのは、この14歳のセンターだけである。小林由依鈴本美愉もなかなか良いが、平手が圧倒的すぎる。目も当てられないメンバーも、いる。というか、仕方ないことだ。なぜならこの曲は、完全に平手友梨奈という天才に寄せたものだからだ。そうとしか思えない。MVで他のメンバーの映る機会が少ないという声もあるし、その通りだと思うが、これだけのものを見せられたら何も言えないだろう。他のメンバーとのポテンシャルの違いは歴然だ。はじめからこれほどの「基準値」を見せられてしまい、酷だとは思うが、もちろんまだデビュー前。これから全メンバー分のストーリーを楽しもうではないか。それもまたアイドル・グループを追う醍醐味なのだから。

デビュー作のセンターとして先輩である乃木坂46の生駒とは、タイプが異なる。生駒はその中性的なルックスとどこか浮世離れした存在感を持ちながらも、他のメンバーをもしっかり引き立たせるタイプである。平手の場合、周りを霞ませるほどの強いオーラを放つタイプ。ステージに出る前の不安そうな表情から、あの鬼気迫る別人のような顔。さらには、ソロ曲「山手線」で見せた山口百恵のような憂いのある表情。大きなことを言ってしまおう。オーラのポテンシャルという一点のみについては、乃木坂の全てのメンバーですら及ばないところにあると。

遅れてきたもう一人のエース、長濱ねるについても少し。
彼女もまた、平手とは別のベクトルを持つ天性のアイドルである。「正統派」といってもいい。その「シルエット」がもうすでに完成されている。アイドルになるべくして生まれたような子だ。加入した背景には複雑なストーリーもあり、それで一曲書かせてしまえる(「乗り遅れたバス」)ほどだから、やはり特別だ。数カ月後の人気ではもしかしたらトップになっているかもしれない。

当面はこの二人が欅坂46の中で核になっていくと思われる。ひらがなけやきに逸材がいるとしても、この二人と比べられてしまうのはつらい。それは1期が強すぎる乃木坂の3期生にも同じことが言える(あちらは若さが大きなアドバンテージにはなりうるが)。

他のメンバーについても書きたいことがたくさんあるが、それは4月6日以降にしようと思う。久々に熱くなってしまった。今年は欅坂の年になるかも知れない。彼女たちのおかげで少なくともあと3年はまだ楽しめる。

羽根の記憶

その日は幸いにも、ニュースなどではなく、彼女がそっと上げたブログを見て知ることが出来た。iPhoneでブログタイトルを見て、微かに心に暗いものが立ち込め、開いた瞬間ブラックアウトした。スクロールするのだけど、頭は真っ白だから何一つ読むことが出来ない。とりあえず閉じて、レオス・カラックスの傑作映画『ポンヌフの恋人』の続きを観ていたのだけれど、内容が頭に入ってこない。パソコンの画面にはいつも通りツイッターのホーム画面が映しだされている。だがタイムラインにもトレンドワードにもその情報はない。

何かの間違いじゃないだろうかと、本気で信じていた。
現実感が全く無かった。

しかしその数分後、「まいまい卒業」の文字がトレンドに上がってきた。

多くの人が言うように、深川麻衣はずっと乃木坂にいてくれるものと思っていた。そういう、根拠の無い安心感が、彼女にはあった。いろんな類の「悪い予感」を、全く感じさせない人なのだ。だけど現実は違った。僕らが思っている以上に、彼女はシビアで、挑戦的で、ハングリーだってこと。思い出してみよう、彼女は専門学校を出るも芸能界への夢が諦めきれず上京し、バイトしながらオーディションを受け続けていた泥臭い人なんだってことを。やさしい聖母で居続けるのではなく、泥臭い深川麻衣にもう一度戻ることを選んだ。その一歩を踏み出したことを僕は尊敬するし、尊重したい。

伊藤かりんが、以前「思い出用に」動画を撮っていたまいまいの話を書いていて、彼女の笑顔とか、裏に隠した哀しみとかがいっぺんに想像できてしまい、とても泣けた。

ある意味この卒業は、同じ年長組である白石や橋本が抜けるよりダメージが大きいだろうと予測する。
道しるべではないけれど、いつでも変わらずそこにある、北極星ような存在だったから。
それが失われるのはひどく寂しいし、不安だ。
グループ内の和が乱れないかなんていう、あらぬ心配をしてしまう。(もちろん大丈夫だろうけど。)

だが、だからこそこのグループは次へ進めるのではないだろうか。
さあ、北野日奈子のブログを見るべきだ。彼女の健気さが、なんと頼もしいことよ。
そう、まいまいが与え続けたやさしさは、必ず残されたメンバーひとりひとりに受け継がれていくし、その力がまた乃木坂46を次のステージを押し上げていくのだ。

Sounds of 2015

2015年よく聴いた12,3の曲たち(2014年以前リリース)。



Gal e Caetano Veloso | Domingo | 1967
薬師丸ひろ子 | あなたを・もっと・知りたくて | 1985
Lamp | さち子 | 2014
Rahsaan Patterson | Where You Are | 1997
John Lennon | One Day (At a Time) | 1975
The Doors | Moonlight Drive | 1967
トワ・エ・モワ | 或る日突然 | 1969
久保田早紀 | 異邦人 | 1979
XTC | Thanks for Christmas | 1983
Tracey Thorn | Small Town Girl | 1982
Prince | With You | 1979
Sergio Mendes & Brasil '66 | Going Out of My Head | 1966

見ると解るように、ボサノヴァに始まりボサノヴァに終わる2015年。そう言ってしまうにはいささか強引であるが、間違ってはいない。まず渡辺亨『音楽の架け橋』という書物の影響が、年始めに色濃く出ている。ブルー・ナイル、カエターノ・ヴェローゾを始めとして、年の後半にはベン・ワットの再評価やそれに伴うトレイシー・ソーンの素晴らしいアルバムに出会った。そのどれもがボサノヴァやラテンの影響を受けており、そういう意味ではこの一年はブラジル音楽の年だったのだ。また邦楽においても、別のルート(野宮真貴の作品)からトワ・エ・モワを発見し、この洒脱なグループもやはりラテンなどの音楽性を内包していた。まぁ、少し広い視野で見ると、渋谷系ボサノヴァは繋がっているわけで完全に別ルートとはいえないが。それでも野宮真貴の作品によってボサノヴァ~バカラック~村井邦彦~ユーミン~小西康陽~フリッパーズ・ギターがスパっと一直線に繋がったのは気持ちがいい体験であった。
ソウル・ミュージックは相変わらず自分の中で良い位置を占めている。今年はやっとプリンスを聴いた。ceroの新譜によってラサーン・パターソンというアーティストも知った。BPMが160超えのロックンロールは少々つらくなり、BPM100程度のソウルがちょうど気持ちよくなってきた。

詩や歌のような日々を

グザヴィエ・ドラン監督の『Mommy/マミー』が一日限りで上映されるということで立川へ行ってきた。あらゆる感情が1:1の画面いっぱいに溢れていて、素晴らしい映画だった。オアシスの「ワンダーウォール」がかかったシーンの高揚感は、今年いろんな映画を見てきた中でも最高の瞬間のひとつだった。

いまはその立川にあるレコード屋で買った荒井由実の2枚目のLPを聴いている。日本が世界に誇るポップスの最高峰。

月曜に湘南まで行ってランタンパレードの弾き語りを聴きに行き、そこで新譜を入手した。バンド編成としては4年ぶり2作目となるが、相変わらずの素晴らしさ。前作より演奏にややポップさが増し、割と軽い気持ちで聴ける。


成長著しい欅坂46の話題。まずはなんといっても長濱ねるの加入だろう。運営得意の隠し玉作戦。そのやり方はあまり好きではないが、注目させるためには有効である。何より当の本人が、即エース級の逸材なのだ。そうじゃなかったらわざわざこんなことをしないだろう。運営の気合が垣間見える。長濱ねるの特筆すべき点は、伊藤万理華推しということ。単純だけど、その事実だけで俄然信頼できる。
ひらがなのけやき坂については正直必要ないと思う。今の21人でいい感じだし。ただ、今後の欅坂ストーリーがより重厚なものになるのは間違いないし、オリジナル・メンバーにはいい刺激になるとは思うので期待したい。
また気になるメンバーを。長沢ちゃん、個人的には存在感ないメンバー上位だったけど、自撮りを見る限りめちゃくちゃかわいい。乃木坂が本当に好きなんだろうな。同じく小林ちゃんも薄かったが、ブログ上手だし、小顔。そこはかとない色気も感じさせる。化ける可能性十分。守屋茜の負けん気の強さ、嫌いじゃない。齋藤冬優花のグイグイ来る感じは、坂Gでは非常に稀有な存在なんだけど、その必死さが空回りしている感じも含めてかわいい。石森虹花も気が強そうと思いきや、実は強がりで、実際繊細な子なのかなぁ。すずもっちゃんと他のメンバーの関わりは少し心配だ。ブハ(上村)ちゃんは、すでに真夏さんポジションて感じだ。安泰。まなか、ベリ、オダナナあたりのダル絡み最高。

とりあえずどのメンバーのブログも初々しさがあって読んでで気持ちがいい。

魔法を信じ続けるかい?

5年前の僕に、いまの僕がこう言ったとしたら、彼は何を思うのだろう。

中村一義が、『金字塔』の再現ライブを、江戸川区でやるよ。」

中村一義が江戸川のほとりで、「永遠なるもの」を弾き語っている姿を勝手に想像し、勝手に泣いていたあの頃。彼の音楽に自分の全霊をぶつけ、涙したあの頃。2012年の『博愛博』をひとつの契機として、彼の音楽を聴く機会は少なくなったものの(代わりに乃木坂46のことを考える時間が増えた)、『金字塔』はいつだって、僕の心のベスト・テン第1位であり続けた。まだ生きている、守り続けているんだっていうその事実を、あの頃の"死ぬように生きていた"自分に、誇りを持って伝えたい。

だけど、あと1週間後に行われるその再現ライブを、本当に僕は見るのだろうか。その実感が湧かない。正直言うと、あまりわくわくしない。なぜか?やはり、『金字塔』は『金字塔』の中でしかあり得ないからだ。『金字塔』の外でそれを再現しようと思っても、まず原理的に不可能なんだ。彼は一体、何を見せたいのだろう。わからない。少しばかり懐疑的な気持ちになっている。いまの自分の価値観や人生観をつくったといっても過言ではない『金字塔』という作品が、あまりにも大切すぎるから、いろいろ考えてしまう。今までライブでやってない曲を本当に出来るのかとか、失望だけが残ってしまうんじゃないかとか、そういうことをね。といっても実際、「始まりとは」のポエトリー・リーディングでいきなり泣いてしまうかもしれないし、酷い出来だったとしても、『金字塔』が人生の一枚であることには変わりないから、どうってことはないだろう。中村一義は2015年を生きていて、2015年の中村一義を見に行くんだ。

アルバムの中核となる「魔法を信じ続けるかい?」という曲に、
「この歌を20年後に聴けば、夢が解る。もうすぐさ。」
という歌詞がある。その「夢」こそが、今回のライブを見れば解るのではないか。
そう思うと、少しわくわくしてきた。

今後の人生観が大きく変わることは無いだろうけれど、大きな意味を持つことは間違いない。