失いたくないから
平静を装いつつも、この2ヶ月半の間は僕の人生において大きな転機であった。僕は転勤を言い渡され、会社を辞めるかどうかの決定に加えて、このタイミングで結婚を申し込むかどうかの選択を迫られることになった。結果として、僕は結婚し、会社を辞めずに転勤することになった。大学入学からちょうど10年間、関東に住んでいたわけだが、今度は関西の方に引っ越すことになる。でも今度はひとりじゃない。This will be our year, we've only just begun.
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カレンダーのページを約5年前に戻そう。2013年、大学院1年の春だ。僕は乃木坂46に出会った。このブログの当時の記事でも、シリアスなトーンで真面目に乃木坂のことを語っており、平和でバカバカしくて最高だと思う。2013年7月、「春がキミを綺麗にした - 幸せな結末」というエントリーで
完全に入れ込んでしまった
とある。そして
選抜もアンダーも関係なく仲良さそうなのも嬉しい。でもこれがずっと続くとは限らない。それを考えると僕はとても悲しい
とも。その2ヶ月後の「星屑ラブソング - 幸せな結末」ではこのようにも書いている。
まぁいつかは心が離れる時が来るんだろうな。でもその時はその時。今は乃木坂の風が吹いていて、その風に身を任せるしかないのだ。どこに辿り着こうとも。
この時ははっきりわかっていなかったが、"乃木坂の風が止むこと"とは、"生駒里奈が卒業すること"だった。
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グループの顔、心臓、屋台骨、エース、センター、主人公、、どんな枕詞がついても、それは所詮ただの言葉だ。生駒里奈とは何なのか。それは初めて「ぐるぐるカーテン」を披露した時の覚悟と不安が入り混じった涙であり、「君の名は希望」MVでぐらりと感情の揺れる刹那であり、ミュージック・ステーションにおける「制服のマネキン」で生田、星野のあとに登場したときの凍るような表情と視線であり、2015年神宮を震わせた咆哮であり、オールスターメンバーでの「サイレントマジョリティー」でセンターに立ったときの絶対的な存在感だ。彼女のステージ上での輝きは、幸か不幸か、グループを背負わざるをえない運命ーー宿命といってもいいーーによる覚悟でもって、もたらされた。時には大衆からの厳しい声に晒されたが、グループの盾となり、自身と乃木坂の推進力に変え続けて、ここまでたどり着いた。卒業発表したブログで書かれた以下の文は、なんというか、すべてを物語っている。
乃木坂で経験した事は、私の盾となりずっと守ってくれる事でしょう
乃木坂のために費やしてきたエネルギーを、今度はひとりで戦っていくための力に変えていくこと。平坦な戦場で生き延びること。
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握手人気やCM、映画などのタイアップメンバーがポジションに大きく反映されてしまう現状では、前に出ることは難しく、端から見ればもはや生駒の影響力は小さいと思う向きもあるかもしれないが、断言しよう、乃木坂46は生駒里奈の卒業によってある種のピークを迎え、あとは緩慢に死んでいくことになる、と。
生駒の代わりなどいない。いるわけがないだろう。残されたメンバーで、いったい誰があのオーラと真っ直ぐな心を持っているだろう?「制服のマネキン」、さらに「サイレントマジョリティー」のセンターが誰に務まるだろう?
誰も後継者がいない。こればかりは事実だ。
とはいっても、今後の乃木坂の売上がすぐに落ちるとは思わないし、まだまだ戦えると思う。数年後、「あれが終わりの始まりだった」などと言われないように、、、僕には祈ることしかできない。
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乃木坂46という奇跡のアイドルグループが放った一瞬の輝き、その中心にいた生駒里奈の存在を、僕は永遠に忘れないだろう。
2018 Feb,11
M3. 乃木坂46, 走れ! Bicycle
M4. 乃木坂46, 水玉模様
M5. 乃木坂46, シャキイズム
M6. 乃木坂46, ロマンティックいか焼き
M7. 乃木坂46, 失いたくないから