幸せな結末

Happy End

Do I Have To Come Right Out And Say It

数ヶ月前の僕がSMAPのシングルをレンタルするなんてことは到底考えられなかったこと。
思えばSMAPの運営陣は昔から作家の選び方がうまかったのかもしれない。スガシカオ山崎まさよしは当時、まだデビューして間もない若いソングライターだった。そして今回の新曲もまた、弱冠21歳の女の子のペンによるものだ。作家からポップ音楽を見ていくと本当に面白い。代表曲のひとつである「青いイナズマ」「$10」などのヒット曲を書いた林田健司氏。最近の仕事は、東京女子流の新曲「運命」だ。iTunesでダウンロードさえした。意外なところでつながるものである。さらには「BEST FRIEND」はなんとあの筒美京平先生作曲である。なんというか、この前のスマスマといい、今日のスマステといい、シングル曲を紹介するときに作詞・作曲のクレジットを書いてあるのが本当にありがたいし、実際、作家にも注目すべきだということをメディアは気づいているのかもしれない。ももクロの新作(聴いてない)も作家名を前面に出した宣伝をしていたし。まぁ、ここ最近の自分の価値観や見方が変わって、そういうのに敏感になっているだけかもしれないが。とにかくCDTVなども作家名を出して欲しいと思う。切に。

ポップ音楽の見方が変わって、なんかいろんなことに対して排他的になってた過去の自分に対して腹立たしい気持ちが湧いた。損していたかもしれない。ぶっちゃけ、「○○聴いてるオレかっけー」なんて気持ちがあることを否定しない。前は、否定してたと思う。やっぱり、聴く音楽ってファッション的要素を抱え込んでしまう。あ、あの人ファンモン聴くんか、とか、自分が他人に対してそういう見方をしてしまう以上、仕方ないこと。自分はそう思われたくないからね。ジュディ・シル聴いてる夏帆ちゃんに、過剰に反応してしまったり。

でもやっぱり、心の深い場所に達するのは、ロック音楽だ。ロックってスタイルじゃなくて、その人の表現そのものだから。もちろん、スタイルとしての、フォーマットとしてのロックも好きだ。ビートルズのパーカッションの使い方や、突然飛び込んでくるピアノのワンフレーズだけで、いまだにぶっ飛んだりしているし。しかし『ホワイト・アルバム』ってホント、「音楽」に徹してるよなー。バンドとしてはピークを越えて、バラバラになりつつあったかもしれないが、いい曲を作って録ろうという気持ちや、創造性は全く色褪せてない。むしろバンドから開放されたような印象を受ける。のびのびと、ただいい音楽をつくろうっていう。でも最近は『ラバー・ソウル』が最高傑作なんじゃないかと思ってる。ソング・ライティングが中心にあって、バンドのグルーヴも最高潮に達し、使ってる楽器も豊富で、またその使い方が絶妙で。隙間を残し、音を適材適所に置いていく感覚。雰囲気はロマンチックだし、詩的だし。女性的というか。『リボルバー』になると、やや混沌としてきてしまう。まだ『ラバー・ソウル』にはそれまでメンバーが影響を受けた音楽の要素が残っていて愛おしい。

話をポップ音楽、大衆音楽、商業ポップに戻すと、アイドル音楽はいつの時代でも必要なのかもしれない。50年代のアメリカのポップ音楽は、作詞家、作曲家、編曲家、歌手と、もっぱら分業制だった。そういう文化がまだ2013年の日本で息づいていることは感動的ですらある。しかもそれがチャート1位になったりする。で、自作自演が原則のロック・バンドが、なんかつまらない。いわゆるロキノン系。ロキノンで取り上げられているバンドを聴いた若者が、それを真似して、またロキノンっぽい音楽をつくり、そいつらがまたロキノンに取り上げられて、それを聴いた、ただモテたいだけの、髪型・容姿がほとんど同じの、くだらないバンドが出来上がる、というサイクル。閉じている。広がらないんだよな。そこに未来はない。ロキノンはなぜ潰れないのか。まじめに音楽学校を出たプロの作曲家たちを本当尊敬している。裏方に徹するかっこ良さ。